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— 映画『ドライブ・マイ・カー』 (@drivemycar_mv) July 13, 2021
西島秀俊主演、濱口竜介監督、村上春樹原作映画ドライブ・マイ・カー↑↑↑が話題に上がっています。
西島秀俊さんは、世界にも通用する本当に偉大な俳優さんですよね。ドライブ・マイ・カー主演のあの西島さんについて、少し調べてみました。
西島秀俊(にしじまひでとし)さん(生年月日1971年〈昭和46年〉3月29日)は、日本の俳優、声優、ナレーター。
東京都八王子市出身。
クォータートーン所属。
桐朋高等学校卒業、横浜国立大学工学部生産工学科中退。
既婚。西島秀俊さんは、2014年11月22日に元コンパニオンの森あやかさんと結婚しましたが、当時はショックを受けたファンから「西島ロス」という言葉も生まれたほど注目が集まりました。
①佐和子(菅野美穂)は婚約者の裏切りに自殺を図る。
②春奈(深田恭子)は顔に傷を負った自分のために、失明した青年に同情する。
③良子(松原智恵子)に至っては、公園のベンチでン十年も恋人を待ち続けている。
- 西島秀俊、村上春樹氏原作映画「ドライブ・マイ・カー」に主演、監督は濱口竜介、ヒロイン役は三浦透子
- ドライブ・マイ・カーは、第94回アカデミー賞 国際長編映画賞を受賞
- ドライブ・マイ・カーのあらすじと登場人物から一言
- ドライブ・マイ・カーが第94回アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した後の凱旋記者会見
- ドライブ・マイ・カーの国際的に成功した理由
- ドライブ・マイ・カーの濱口竜介監督が受賞スピーチを振り返って
- ドライブ・マイ・カー主演の西島秀俊は、アカデミー賞の授賞式では緊張?
- ドライブ・マイ・カー主演の西島秀俊がジョン・カサベテス監督作品『ハズバンズ』を見て感動して向かったのは?
- ドライブ・マイ・カー主演の西島秀俊さんから濱口竜介監督へ「監督の現場というのは、とにかく丁寧に時間をかける」と言い表す
- ドライブ・マイ・カーの濱口竜介監督から西島秀俊さんへ「西島秀俊さんは存在している」
- ドライブ・マイ・カーは、村上春樹氏原作映画であり、その作品としての魅力
- ドライブ・マイ・カーが受賞した第94回アカデミー賞授賞式での「オスカー平手打ち事件」とは?
- ドライブ・マイ・カーは「非英語作品」であるが「英語作品」との違い、及び「映画と言語」の関係性について
- ドライブ・マイ・カーにおける、字幕は、“壁”なのか?それとも“橋”なのか?
- ドライブ・マイ・カーを通して見た、世界における「日本映画への関心」
- 西島秀俊氏主演、濱口竜介監督、村上春樹氏原作映画「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した理由は?西島氏や濱口監督の感想や裏話は?のまとめ
西島秀俊、村上春樹氏原作映画「ドライブ・マイ・カー」に主演、監督は濱口竜介、ヒロイン役は三浦透子
2021年1月25日、俳優の西島秀俊さん(当時49歳)が、今夏公開の映画「ドライブ・マイ・カー」(濱口竜介監督)で主演することになった。
この作品は、最愛の妻を失った男の計り知れない行き場のない喪失を抱えながらも、仄かな(ほのかな)希望へと1歩を踏み出す主人公の心の機微の体現を描いたヒューマンドラマである。
詳細には、村上春樹氏の短編小説集「女のいない男たち」に収録された小説に新進気鋭の濱口竜介監督がほれ込み、自ら脚本も手がけ映画化した。
ドライブ・マイ・カーは、第94回アカデミー賞 国際長編映画賞を受賞
本作品は、第94回アカデミー賞では、邦画初となる作品賞を含む4部門にノミネートされ、2009年の滝田洋二郎監督作『おくりびと』(第81回:当時の名称は外国語映画賞)以来となる国際長編映画賞を受賞し、13年ぶりの快挙となっている。
その他、第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル(世界教会主義)審査員賞を受賞。
ドライブ・マイ・カーのあらすじと登場人物から一言
西島秀俊さんが主演を演じた、舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛する妻・音と満ち足りた日々を送っていた。
しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう。
2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった、最愛の妻を亡くした舞台俳優の家福(かふく)が、愛車サーブの運転を代わりに引き受けた寡黙で、ある過去を抱える女性専属ドライバー・みさきと出会います。
そして、二人の道中での交流を通し、互いの孤独に向き合っていくストーリーとなっています。
西島秀俊さんは「村上春樹さんの短編を濱口竜介監督が映画化する。
その話を聞いた時、非常に興奮しました」とコメントしました。
「濱口竜介監督による熱のこもった脚本は想像以上に素晴らしく、いまを生きる多くの人の心に寄り添う作品になっていると確信しています」と語った。
みさき役の三浦透子(当時24)も「彼女の姿勢から、私はたくさんのことを学びました。
自分の弱さを受け入れ、何かを諦めながらも前向きに生きる勇気をもらいました。
きっと私のように、彼女の優しさに救われる方がいると信じています」と思いを込めた。
また、秘密を抱えたまま亡くなる家福(かふく)の妻を霧島れいか(当時48)、物語のカギを握る俳優の高槻を岡田将生(当時31)が演じます。
ドライブ・マイ・カーが第94回アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した後の凱旋記者会見
第94回アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の凱旋記者会見が2022年4月5日、東京・千代田区の日本記者クラブで行われ、濱口竜介監督、主演の西島秀俊、プロデューサーの山本晃久氏が出席した。
村上春樹氏の短編小説集「女のいない男たち」に収録された小説を、西島秀俊、三浦透子、岡田将生、霧島れいか、らの共演で映画化しました。
アカデミー賞での国際長編映画賞受賞は、滝田洋二郎監督作「おくりびと」(第81回:当時の名称は外国語映画賞)以来、13年ぶりの快挙となっています。
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ドライブ・マイ・カーの国際的に成功した理由
「ドライブ・マイ・カー」は、なぜ国際的に受け入れられているのか。
世界各国を訪れた濱口竜介監督は、そのような質問が投げかけられる度に「その国の人ではないので、わかるわけがない」と答えていた。
「ただし、確かに言えること(=強み)は、村上春樹さんの物語であること。
短編小説集は、妻を失った男性の魂の遍歴を描いています。
自分自身が心掛けていたのは、村上春樹さんが長編でやられている“希望へと辿り着く”というもの。
『登場人物たちは、これで大丈夫』というところまで付き合う。
それを物語を構築していく際に心掛けていました。
この変遷というものは、国境を越えて受け入れられるものだったと思います」と分析した。
ドライブ・マイ・カーの濱口竜介監督が受賞スピーチを振り返って
そして、受賞スピーチを振り返る濱口竜介監督。「受賞の直前に至るまで、自分の人生にオスカーというものが関わってくるとは思っていなかったんです。
通訳の方と相談していたのは、もし受賞をした際は、それぞれのお名前を挙げて感謝をしたいということ。
俳優の皆さんに感謝を述べられたことが良かったんですが、本当はスタッフ、村上春樹さんにも感謝をお伝えしたかった」と告白。
さらに「残念だったのは、通訳の方はとても優秀な方。その実力をお見せする機会があまりなかった。
次のチャンスがあれば……」と謝意を示していた。
ドライブ・マイ・カー主演の西島秀俊は、アカデミー賞の授賞式では緊張?
無類の映画好きである西島秀俊。
アカデミー賞の授賞式は「参加するまでは、かなり緊張するだろうなと思っていました。
でも、実際に行ってみると、意外と緊張しなかったんです。
あの場は、映画を作る人たちの集まり。
特に映画愛の強い人たちが集まっている。
互いの作品を称え合う場として、非常に居心地が良かったです」という。
最も思い出深かったのは、授賞式前日のことだった。
ドライブ・マイ・カー主演の西島秀俊がジョン・カサベテス監督作品『ハズバンズ』を見て感動して向かったのは?
西島秀俊さん曰く「ジョン・カサベテス監督のお墓参りに行きました。
その時、自分でも驚くほど心が動いたんです。
2000年に『ハズバンズ』を見て、非常に感動しました。
こんな“人間そのままの演技”がしたいと思ったんです。
それから20年以上経って、ロサンゼルスに降り立ち、お墓の前で『明日、アカデミー賞に出るんだな……』と。
上手く説明できないんですが、そのことにとても感じるものがありました。
素晴らしい作品と偉大な魂が、僕を運んでくれたんだなと――感動しました」。
■出演者:ピーター・フォーク、ジョン・カサベテス
■内容:1970年のアメリカ合衆国の映画。ジョン・カサベテスファミリーとも言うべきピーター・フォークなどの共演作。撮影期間は1969年1月20日から1969年7月10日まで。ストーリーは、すでに家庭という守るものを持っている3人の中年男性が、急死した親友の葬儀後、家族や仕事を放り出し、人生を見つめなおす型破りで奇妙な放浪を繰り返す。シンプルながらも中年という世代に向けて放たれた悲痛な風刺を込めて描かれた社会派のヒューマンドラマ。
■配給:アメリカ合衆国 コロンビア ピクチャーズ
■公開:アメリカ合衆国 1970年12月1日
■上映時間:138分(オリジナル版)
■日本公開:2000年3月18日
■製作国:アメリカ合衆国
■言語:英語
■製作費 $1,000,000
■尚、公私にわたる仲間だったピーター・フォーク主演のテレビシリーズ『刑事コロンボ』にも、『黒のエチュード』の犯人役で出演している。
ドライブ・マイ・カー主演の西島秀俊さんから濱口竜介監督へ「監督の現場というのは、とにかく丁寧に時間をかける」と言い表す
西島秀俊さん曰く「(俳優同士は)役の距離を詰めるために、当然自分たちの距離を詰めていく。
そこで役の関係性に引っ張られ、俳優同士が無理矢理距離を詰めていくと、どうしても無理な力が働き、歪んでしまう感じがあるんですね。
時間をかけ、ゆっくりと距離を詰めて、ゆっくりと理解し合う。
映画も同様のことを描いていますが、濱口竜介監督は現場でも、その点を丁寧にやられていました。
これからの現場でも、丁寧に時間をかけて、お互いの言葉に耳を澄ませる。
そうやって作品に向かい合っていきたいと思いました」。
ドライブ・マイ・カーの濱口竜介監督から西島秀俊さんへ「西島秀俊さんは存在している」
濱口竜介監督は「西島秀俊さんとは、ずっと仕事がしたいと思っていた方。
たくさん映画を見ていた20代の頃(2000年代)、西島秀俊さんが出ていらっしゃった作品を見て『日本にもこんなに素晴らしい映画、俳優がいるんだ』と思っていました。
その時から惹かれていたのは『演じている』というよりも『存在している』という点」と言葉を紡ぐ(つむぐ)。
濱口竜介監督曰く「存在している――こういう役者さんは、そう多くはありません。
記号的に演じているわけではなく、自分の存在そのものを、そこに焼き付けようとしている。
今回の現場で感じたのは、西島秀俊さんは、本当によく聴いて、よく見ているということ。
何もしていないわけではなく、相手から何かを受け取り、何かを感じ、その上で場に存在している。
だからこそ、西島秀俊さんと演技をするということは、他の役者さんにとっても支えになることなんじゃないかと思います」。
ドライブ・マイ・カーは、村上春樹氏原作映画であり、その作品としての魅力
濱口竜介監督は、改めて村上春樹作品の魅力について「難しさでもあるのですが、内面のリアリティ」と説く。
「自分がこういう風に感じてもおかしくはないという内面に関する詳細な描写があります。
しかし、これは映画が不得意とするところ。
映像化の際に意識したのは『文章の後は追わない』というもの。
魅力的な文章であればあるほど、読者が想像したものに映像が勝つというのは難しい。
あくまで、自分が受け取ったものを核として、どう映像にしていくのかということを考えました」。
「ドライブ・マイ・カー」の核となっているのは、舞台俳優で演出家の家福(かふく)(西島秀俊)とドライバーのみさき(三浦透子)の関係性だ。
「この関係性というのは、車の中で会話をすることで深まっていく。
この時間をどう描くのか――。
『会話の表現』『乗り物に乗る』というものは、これまでやってきたことでもあったので、題材に合致するのではないかと思いました」と語ってくれた。
ドライブ・マイ・カーが受賞した第94回アカデミー賞授賞式での「オスカー平手打ち事件」とは?
第94回アカデミー賞授賞式では、ウィル・スミスとクリス・ロックが関与した事件、所謂、「オスカー平手打ち事件」も印象に残る。
「ドライブ・マイ・カー」チームは、その時どうしていたのだろうか。
西島秀俊さんが、意外な事実を明かしてくれた。
西島秀俊さん曰く「実はCMが流れている間だけ、会場から出ることができたんです。
『ドライブ・マイ・カー』チームは、たまたま休憩をとっていて、会場に戻るタイミングを逸して『わたしは最悪。』(日本劇場公開日 2022年7月1日:第94回 アカデミー賞(2022年)脚本賞&国際長編映画賞ノミネート)のデンマークチームと話し込んでいました。
ですから(事件は)見ていないんです。
(放送で視聴した)皆さん以上に、何が起きたのか知りませんでした。
日本に帰ってきて、映像を見てから『あ、こんなことがあったのか……』という感じでした」
ドライブ・マイ・カーは「非英語作品」であるが「英語作品」との違い、及び「映画と言語」の関係性について
第92回アカデミー賞において「パラサイト 半地下の家族」が作品賞に輝いた際、ポン・ジュノ監督は「英語作品」「非英語作品」という括りが“今後は関係がなくなる”という趣旨の発言をしていた。
濱口竜介監督は「映画と言語」の関係性について、現地での実感を交えて語り出す。
そこに登場するのは、前述の「わたしは最悪。」のヨアキム・トリアー監督(デンマーク出身)だ。
濱口竜介監督は、「ヨアキム・トリアー監督のチームとは、特に良い関係性を築けたと思います。
ヨアキム・トリアー監督は『国際長編映画賞にノミネートされた作品は、字幕の映画というものを、この国に届けるための“仲間”なんだ』と仰っていました。
この考え方は非常に素晴らしい。
前提として『字幕の映画』というものがアメリカでは障壁になると言われていました。
ただ、日本で字幕の映画を見るということは全く普通のこと。
字幕によって、どれだけ多くの国の映画を楽しむことができているか――そのことを考えると“壁”というよりは“橋”のようなものだと思っています。
字幕というものは、役者さんの声、感情を直接的に伝えるための補助として機能しています。
字幕の映画は、もっともっと広まってほしい。そのためにも、自分たちの映画というものを作り続けていきたいです」。
カンヌ・アカデミー賞を制した「パラサイト 半地下の家族」(ポン・ジュノ監督)は、U-NEXTの31日間無料トライアルで見放題だよ!ここから申し込めるよ!
ドライブ・マイ・カーにおける、字幕は、“壁”なのか?それとも“橋”なのか?
濱口竜介監督は、アカデミー賞という舞台では「“両面”感じたことがある」という。
濱口竜介監督は、「3週間ほど滞在し、色々な方にお会いして、桁外れの世界であるということを実感しました。
予算の規模もまったく違う世界。
自分たちの作品も、段階的にスケール感を調整していかないとならないのだろうと思いました。
一方、監督の方々と話して感じたのは、ひとりひとりのクリエイターがパーソナルなものに根差して製作されているということ。
スティーブン・スピルバーグ監督もそうです。
映画から受けた喜び、人生における傷を、どうやって作品に昇華するのか。
“自分自身”から考えるという印象を受けました。
その点に関しては、(自分と)変わらないところなのかなと思いました。
自分たちのパーソナルなものから出発をするというのは、全く間違っていないし、おそらく映画を作り続けていくための唯一の方法なのではないでしょうか。
そこにどの程度の予算を加えていくのかということは、今後の業界全体の推移とも関わってくるのかなと思います」。
一方、西島秀俊は「今回の僕の演技は、かなり説明を排除しているもの。これは観客の皆さんと共同で作り上げるような演技だと思っています。
その演技が(世界中の)たくさんの方に見て頂けたという事実があり、これは“希望”とも言えるかもしれません」と思いの丈を述べました。
ドライブ・マイ・カーを通して見た、世界における「日本映画への関心」
最後に投げかけられたのは、世界における「日本映画への関心」というもの。
濱口竜介監督は「これに関しては、はっきりと言わないといけません」と前置きし、自らの考えを述べた。
濱口竜介監督は、「日本映画への関心というものは“現代”に対してのものではないと思います。
『(かつて)素晴らしい映画があった』という観点で、日本映画のことが語られることはある。
是枝裕和(これえだひろかず:映画監督・テレビディレクター)さん(※1)は別ですが、現代の日本映画がアメリカで注目されているとは言えません。
そのような実感はありました。
ただし、アジア映画全般への関心は高まっているようです。
これは現地の方々からもお聞きしたこと。
アメリカの観客は『アジアに何か面白いものがあるのではないか』という目線で(作品を)探している。
しかし、この目線が日本に向かっているかといえば、そうではない。
観客の好奇心を貫くような作品が出てくることを願っています。
目線は向けられている。
あとは、この目線に応えるような作品があるかどうかということです」。
■1962年6月6日、東京生まれ。
■1987年に早稲田大学第一文学部文芸学科卒業後、テレビマンユニオンに参加。
■主にドキュメンタリー番組を演出、14年に独立し、制作者集団「分福」を立ち上げる。
■主なテレビ作品に、水俣病担当者だった環境庁の高級官僚の自殺を追った「しかし…」(91年/フジテレビ:CX/ギャラクシー賞優秀作品賞)、
■一頭の仔牛とこども達の3年間の成長をみつめた「もう一つの教育~伊那小学校春組の記録~」(91年/フジテレビ:CX/ATP(一般社団法人全日本テレビ番組制作者連盟)賞優秀賞)などがある。
■特に、2022年5月27日に、是枝博和監督作品「ベイビー・ブローカー(2022年6月24日公開)」が、フランスで開催中の「第75回カンヌ国際映画祭」において、コンペティション部門に正式出品されました。
西島秀俊氏主演、濱口竜介監督、村上春樹氏原作映画「ドライブ・マイ・カー」がアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した理由は?西島氏や濱口監督の感想や裏話は?のまとめ
濱口竜介監督は、「その国の人ではないので、わかるわけがない」と答えていました。
「ただし、確かに言えること(=強み)は、村上春樹さんの物語であることであると言いました。
西島秀俊さん曰く「受賞前日に、ジョン・カサベテス監督のお墓参りに行き、その時、自分でも驚くほど心が動いたと言いました。
2000年に『ハズバンズ』を見て、非常に感動し、こんな“人間そのままの演技”がしたいと思ったんです。
それから20年以上経って、ロサンゼルスに降り立ち、お墓の前で『明日、アカデミー賞に出るんだな……』と。
そのことにとても感じるものがありました。
素晴らしい作品と偉大な魂が、僕を運んでくれたんだなと思い感動しました、と言っています。