【#特撮の日】
本日7/7(木)は「特撮の神様」#円谷英二 監督の誕生日
観ている人たちに
喜びや驚きを与えたい。これまで受け継がれてきた
思いのバトンを受け取り#シンウルトラマン は
ウルトラ #大ヒット上映中 です!ぜひ劇場でご覧ください! pic.twitter.com/fuGDQUBYfz
— 映画『シン・ウルトラマン』公式アカウント (@shin_ultraman) July 7, 2022
映画「シン・ウルトラマン」の興行収入が、2022年6月12日までで、35.6億円、239万人と大成功していますね。
56年前の1966年に特撮テレビ映画「ウルトラマン」が何故、現代の日本人にこれほどまで人気があるのか?
そもそも「ウルトラマン」は誰が生み出したのか?
円谷プロダクションか、或いは、成田亨(なりた とおる)さんなのか?謎は深まるばかりです。
本記事では、成田亨さんの『真実と正義と美の化身』※1で描いたウルトラマンを原点として、企画された映画「シン・ウルトラマン」の著作権者について、調べてみました。
映画「シン・ウルトラマン」の原点である「ウルトラマン」の著作権者は?
成田亨さんは、デザインや彫刻で活躍する一方、「シン・ウルトラマン」の原点である「ウルトラマン」や「怪獣」の著作権をめぐって円谷プロと争うようになります。残念ながらこの著作権の所在は、法廷や話し合いでも解決せず、成田亨さんと円谷プロとの両者の間にわだかまりを残したまま、2002年に成田亨さんは72歳でこの世を去ってしまいました。
では映画「シン・ウルトラマン」の著作権者は誰か?
素人的に考えて、成田亨さんが著作権者ではないか?と思います。
即ち、「TSUBURAYA CONVENTION 2019」のオープニングセレモニーで公開された映画「シン・ウルトラマン」の原点は、成田亨さんの『真実と正義と美の化身』※1で描いたウルトラマンがデザインコンセプトであります。
このことより、成田亨さんが著作権者であることの理由にはならないでしょうか?
特撮ドラマ「ウルトラマン」の映画「シン・ウルトラマン」(2022年5月13日公開)に登場するウルトラマンのデザインが2019年12月14日、公開されました。
同日、東京都内で開幕した円谷プロ史上最大の祭典「TSUBURAYA CONVENTION 2019」のオープニングセレモニーで発表されました。
「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」などでウルトラマンをはじめとするキャラクターや怪獣、メカ、防衛隊のコスチュームや基地のセットまでをデザインした故・成田亨さんが1983年に描いた絵画「真実と正義と美の化身」※1がコンセプトになっていると言われています。
また、タイトルと「空想特撮映画」と書かれた新ロゴも公開されました。
映画「シン・ウルトラマン」の企画・脚本を務める庵野秀明さんは「成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』※1を見た瞬間に感じた『この美しさを何とか映像にできないか』という思いが、今作のデザインコンセプトの原点でした」とコメントを寄せています。
カラータイマーや目の部分ののぞき穴などを排したデザインになっているといいます。
映画「シン・ウルトラマン」は円谷プロダクション、東宝、カラーが製作し、配給は東宝です。
企画・脚本を庵野秀明さん、監督を樋口真嗣さんが務め、2016年公開の大ヒット怪獣映画「シン・ゴジラ」(庵野秀明総監督・脚本、樋口真嗣監督・特技監督)を手がけた2人が再びタッグを組みます。
俳優の斎藤工さんが主人公の“ウルトラマンになる男”を演じ、女優の長澤まさみさんが主人公の相棒役として出演し、西島秀俊さん、人気グループ「Hey! Say! JUMP」の有岡大貴さん、早見あかりさん、田中哲司さんらも出演します。
「TSUBURAYA CONVENTION 2019」のオープニングセレモニーの日には、斎藤工さん、樋口真嗣監督が登場しました。
斎藤工さんは「まさか、本当にウルトラマンに変身する人生とは思ってなかった。
“壁ドン”とかしてきた人間なので、まさかウルトラマンになるとは、夢のようでしたね」と心境を明かしました。
今回公開されたウルトラマンのデザインについては「足が長い。美しさがありますよね。ずっと見ていられるというか。すごく自然な生命体な気がします」とコメントしました。
また樋口真嗣監督は『ひな型と呼ばれるものの1号、2号です。まず型を作って、模様や色をどういうふうにするかを検討するためのものです』と説明し、『最初に作った型を抜いた彫刻の複製が残っていまして。
よく見ると左右非対称で、人間的なものを感じて。
人の手が作った素晴らしいものなんだ、と実感しました。
どんどん洗練されてくるけど、一番最初に作ったものにもう一回戻りたい、そういうところからすべて始まりました』と明かしました。
2014年発売の一般書籍の「成田亨作品集」における著作権について
2014年に発売された一般書籍の「成田亨作品集」(羽鳥書店)※2には図版クレジット部分の著作権表記に、
(1)成田夫人、
(2)Eternal Universe(「永遠の宇宙」)、
(3)NTV、
(4)東宝と併記する形で、
(5)円谷プロの版権表記が「円谷プロ Original Design by 成田亨」と書かれています。
これは成田亨さんがウルトラマン、ウルトラセブンの映像作品に対して望んでいた「出版物上での表記」でありました。
尚、「成田亨作品集」全体の著作権はEternal Universeとなっています。
2014年発売の一般書籍の「成田亨作品集」の5人の著作権者
(1)成田亨さんの配偶者である成田夫人は、著作権を相続により取得します。
(2)Eternal Universeとは、翻訳すると「永遠の宇宙」を意味します。
ここでの表記は正確には「Eternal Universe inc.(Eternal Universe株式会社)」を示します。
このEternal Universe株式会社は、成田亨さんの公式ウェブサイト(https://tohlnarita.com/)で掲載されている画像(静止画・動画)及び文章の著作権を遺贈された法人であると推測されます。
(3)NTVは、日本テレビ放送網株式会社(にほんテレビほうそうもう、英: Nippon Television Network Corporation)は、日本テレビホールディングスの連結子会社で、略称は、日本テレビ、日テレ、NTV、AXです。
(4)「東宝」株式会社(「とうほう」、英: TOHO CO., LTD.)は、株式会社円谷プロダクションと、歴史的に深い関係にある映画・演劇の製作・配給・興行を行う日本の企業であります。
本社は東京都千代田区有楽町一丁目2番2号です。
「東宝」株式会社は、東映、松竹と共に日本のメジャー映画会社「御三家」のひとつであります。日経平均株価の構成銘柄の一つです。
(5)「円谷プロ Original Design by 成田亨」については、これは全くの私の私見ですが、円谷プロの版権表記が「円谷プロ Original Design by 成田亨」としているのは、上述したように、成田亨さんのその表記を望んでいたことに加えて、円谷プロが、亡くなられた成田亨さんに敬意を表して、成田亨さんがウルトラマンに係る著作物の原作品の著作権を有することを世に示したのではないでしょうか。
しかしながら、法律的には、円谷プロ(株式会社円谷プロダクション)がウルトラマンに係る著作権を有するということではないでしょうか。
株式会社円谷プロダクション(つぶらやプロダクション、英: Tsuburaya Productions Co., Ltd.)は、日本の独立系映像製作会社です。
フィールズ株式会社の連結子会社で、株式会社バンダイナムコホールディングスの持分法適用会社です。
高度な特殊撮影技術を用いた作品を作ることで知られており、「ウルトラシリーズ」を始めとする数多くのテレビ番組や映画を製作し続けています。
但し、円谷プロダクションの設立当初は、創業者の円谷英二の出身の映画会社である東宝との結びつきが強く、円谷プロダクションの筆頭株主にもなっており、東宝役員が非常勤役員を兼ねたり支配人など事務系スタッフを出向させていました。
即ち、円谷プロダクションは、東宝の傘下に近い形で、存在していました。
「ウルトラマン」の生みの親である成田亨さんとはどんな人生を歩んでいたのでしょうか?
成田 亨(なりた とおる)さんのプロフィール
■1929年9月3日生まれ – 2002年2月26日逝去
■青森県出身
■デザイナー、彫刻家
■略歴:
・神戸市生まれで、翌年より父方の故郷である青森市にて育つ。漫画家の成田美名子は、従兄弟の娘にあたります。
・生後8ヶ月の時、青森県の自宅で囲炉裏の炭をつかんで左手に火傷を負い、数度の手術でも治らなかったのです。1936年4月、青森市立古川尋常小学校(現:青森市立古川小学校)に入学します。
・8歳の時に兵庫県武庫郡大庄村(現:尼崎市)へ移り、大庄村立大庄尋常高等小学校(現:尼崎市立大庄小学校)に転校し、4年生時には学校分離を経て大庄村立大庄第二尋常小学校(旧:尼崎市立西小学校)に通い、14歳までの6年間を尼崎市で過ごします。
・小学校では言葉の違いと左手の火傷のことでいじめられ、右手だけで描ける絵が救いとなり、将来は画家になることを決意します。
・旧制青森県立青森中等学校(現:青森県立青森高等学校)を卒業した当時、絵の指導を受けていた画家の阿部合成宅には太宰治が出入りしており、彼らの激励に勇気づけられたと後年に明かしています。
・印刷工として働いて資金を貯め、1950年には武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)に入学します。
・当初は洋画を専攻していたが、授業に不満を感じ、途中で彫刻学科に転科します。彫金の作業中、移植した皮膚からはしばしば出血していたといわれています。
・1954年、美術学校卒業後には友人に誘われ、怪獣映画『ゴジラ』(東宝、本多猪四郎監督)にアルバイトとして参加します。
・石膏グループの一員として、怪獣ゴジラに壊される建物のミニチュアを制作しました。
・以後、美術スタッフとして各映画会社の特撮作品に携わります。
・1955年、彫刻作品で「第19回新制作展」に入選しました。
・1956年、武蔵野美術学校彫刻研究科(現大学院)を修了し、映画監督のもとに弟子入りすると、1962年には第26回新制作展新作家賞を受賞します。
・1965年春、円谷特技プロダクションの契約社員となり、特撮テレビ映画『ウルトラQ』(1966年、TBS)の第2クールから美術監督を務めます。
・続く『ウルトラマン』(1966年、TBS)、『ウルトラセブン』(1967年、TBS)、『マイティジャック』(1968年、フジテレビ)でも、怪獣やレギュラーメカのデザインを手がけました。
・これらキャラクターデザインに関しては、後にその著作権を巡り、円谷プロと争うことになりました。
映画「シン・ウルトラマン」の企画・脚本の庵野秀明さんが寄せたコメント
『成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』※1を映像に出来ないかというのが、今作のデザインコンセプトの原点です』(ほぼ原文のママ)
『シン・ウルトラマン』の「ウルトラマン」について
・成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』※1を観た瞬間に感じた「この美しさを何とか映像に出来ないか」という想いが、今作のデザインコンセプトの原点でした。
・我々が『ウルトラマン』というエポック※3な作品を今一度現代で描く際に、ウルトラマン自身の姿をどう描くのか。(※3:エポック(=新時代))
その問題の答えは、自ずと決まっていました。
それは、成田亨氏の目指した本来の姿を描く。
現在のCGでしか描けない、成田亨氏が望んでいたテイストの再現を目指す事です。
世界観を現代に再構築する事は挑戦出来てもあの姿を改める必要を感じ得ず、成田亨・佐々木明※4両氏の創作したオリジナルへの回帰しか、我々の求めるデザインコンセプトを見出せませんでした。
その為に―――
・『真実と正義と美の化身』と成田氏が当時から後年にかけて描いていた様々なウルトラマンのイメージを踏襲し融合し再構成させた新たな体表のライン。
・成田亨氏が監修した、佐々木明※4氏制作によるマスク。
・成田亨氏が望んだ、古谷敏※5氏の体型データをベースとした体躯。
・成田亨氏が望まなかった、眼の部分に覗き穴を入れない。
・成田亨氏が望まなかった、スーツ着脱用ファスナーに伴う背鰭(せびれ)を付けない。
・そして、成田亨氏が望まなかった、カラータイマーを付けない。
と、いう作業を行った結果が今回のデザインです。
ウルトラマンの美しさに、少しでも近づきたいという願いから生まれた姿です。
この想いが、わずかでも観客の皆様に伝わる事が出来れば、幸いです。
企画・脚本 庵野秀明
『成田亨 複製絵画「真実と正義と美の化身」※1(1983年、油彩・キャンバス)』の著作権について
この複製絵画には、『©Narita/TPC』と表記され、©はCopyright(著作権)を略したもので「コピーライトマーク」といいます。
この©が付与された、『Narita(=成田亨)』及び『TPC(Terrestrial Peaceable Consortium:地球平和連合 – 特撮テレビ番組『ウルトラマンティガ』および『ウルトラマンダイナ』に登場する架空の組織。)』が、複製絵画「真実と正義と美の化身」※1の著作権者であると、無方式主義を採用した国及び方式主義の国において顕示していることになります。
TPCが何を意味するのか正直分からなかったため、「地球平和連合」という架空の組織と予想しましたが、これは、成田亨さんの遺志を慮って(おもんぱかって)ユーモアを交えて明記したと推測させて頂きました。
成田亨氏の子の成田浬(なりたかいり)さんのコメント
「シン・ウルトラマン」のデザイン発表に寄せて
昨年の初春、母と私のもとへ庵野秀明さんが来訪され「『真実と正義と美の化身』※1を映画にしたい」と仰っていただいた時のことは忘れません。
耳を疑うほどに嬉しかったのです。
父、成田亨は、自身が試行錯誤しながら生み出した「ウルトラマン」を、生涯を通して深く愛し、誇りに思っておりました。
同時に、その「ウルトラマン」を生み出した自身の名前がクレジットから消され、デザインが変質され、商業的に利用され続ける人間社会に深い悲しみと絶望を抱いておりました。
その心を正直に発した事で、誤解や誹謗中傷も受けました。
父は悲しみが癒されることなく2002年に他界しましたが、その背中を通して多くを感じながら育てられた私は、父を誇りに思い、時に哀れに思い、そして心から尊敬しています。
生前の父の言葉を思い出します。「本物は残る、本物であれ」
『真実と正義と美の化身』※1は、芸術家として生きた当時の父の全てが注ぎ込まれた油彩画です。
その絵画が、当時まだ子どもとしてウルトラマンを見ておられた庵野秀明さんの感性に50年以上の時を経て触れ、才能を発揮し続ける庵野さんの稀有な感性と交わり、「シン・ウルトラマン」としてどの様な姿でスクリーンに蘇るのか、期待に胸が膨れ、熱くなっております。
昭和の子どもが心踊らせた「ウルトラマン」が、令和の子どもたちに「シン・ウルトラマン」として蘇る。
子ども達の心に残る忘れられない映画の誕生を心待ちにしております。
成田浬
円谷プロダクションのコメント
『シン・ウルトラマン』の「ウルトラマン」について
初めて庵野秀明氏と『シン・ウルトラマン』の企画の話をした時から、庵野秀明氏にはある想いがありました。
それは、成田亨氏の描いた『真実と正義と美の化身』※1を今作のデザインコンセプトにしたいということ。
成田亨氏の描かれたデザインは現在まで続く「ウルトラマン」の原点であり、私たちは庵野秀明氏の「ウルトラマンの美しさに少しでも近づきたい」という想いに全面的に賛成しました。私が初めて成田浬氏とお会いしたのは2018年春でした。
それ以来、成田亨氏の偉業について、そしてご苦労についてお伺いすることができました。その上で、この機会に改めて成田亨氏の円谷プロダクションでの仕事と功績に対して惜しみない賛辞をお贈りしたいと思います。
今作をご覧になる多くの方が最高にして美しい「ウルトラマン」を目撃します。どうぞご期待ください。
株式会社 円谷プロダクション 代表取締役会長兼CEO 塚越隆行
「シン・ウルトラマン」における著作権について:まとめ
・特に、今回の「シン・ウルトラマン」の著作権者の表示は、次のように2つが並べて明記されています。
『©2022「シン・ウルトラマン」制作委員会』と、『©円谷プロ』とです。
・©は、前述したように、Copyright(著作権)を略したもので「コピーライトマーク」といいます。
しかし、この©が付与された、『2022「シン・ウルトラマン」制作委員会』及び『円谷プロ』が、「シン・ウルトラマン」の著作権者であると、無方式主義を採用した国及び方式主義の国において顕示していることになります。
・『2022「シン・ウルトラマン」制作委員会』の実体は、上述した成田亨さんの公式ウェブサイト(https://tohlnarita.com/)で掲載されている画像(静止画・動画)及び文章の著作権を遺贈されたEternal Universe株式会社に関連する法人、或いは、庵野秀明総監督・脚本、樋口真嗣監督・特技監督の下で、怪獣映画「シン・ゴジラ」を製作した制作スタッフ陣等ではないかと予想されます。
しかしながら、成田亨さんに敬意を表して、成田亨さんの公式ウェブサイト(https://tohlnarita.com/)で掲載されている画像(静止画・動画)及び文章の著作権を遺贈された法人である上述したEternal Universe株式会社に関連する法人であってほしいと思うのは私だけではないと思います。